Q:MARTHさんにお尋ねします。“ワンネス”という言葉の本当の意味、真実の意味は、どういうことになるでしょう…。

MARTH:その答えは、無我のことであると言えるでしょう…。それは、自我の終焉のことであり、すべてが一体のことなのです…。真我の、いや、神の、ひとりである一者の夢。この世界が、ひとりの夢、そのひとりの神の世界であるということを精神世界、ニューエイジが伝え続けてきたのです…。

そして、その一者の夢、イコール、ワンネス、自我の終焉は無我のことです。

それを確かめるには、私たちが素粒子と呼んでいる未知なるもの、昔はこれはエーテルとか様々に呼ばれていましたが、その未知なるものが想念で出来ているということを、人類はこれから解明することでしょう。

それを解明するとき、それが
「あっ!想念で出来ている」「では、誰の想念だ?」と、なることでしょう…。

その時、それは個々人の想念の影響ではないので、神の想念であることを見つけ出すことでしょう…。

真の自己、真我、ひとりの、一者の夢ということに…。

そしてその子どもたち、その構成された一部分は、それぞれに小さな範囲の創造を任されていることに人類は気づくことでしょう…。

そしてその、想念が集まってくることで、それが集合意識となり、百匹目のサルということにもなり、真実に気づいてゆくのでしょう…。

それは、個々の想念は、集合することで
強まるということを知り、人数が必要であるということに気づくのです…。

その上、深い瞑想的状態、自我が終焉した状態が何より必要とも…。

ですから、シディがうまくゆくためには、自我の終焉がどうしても伴わなくてはならないと気づき、そのような仕組みに人類は深く気づいてゆくことでしょう…。

そして、その自我の終焉、無我の世界、としての理(ことわり)、仕組み、性質、その流れから逸脱するとき、またはそれに反する自我の念望、希望で世界を創りたいと望んでも、自我には創造の力がそもそも伴いません…。

それは、この世界がそのような構造で出来ているからです…。

ですから、その万物の仕組みを自我が破ることができないのです…。
そこで自我の野心は必ず破壊されてしまいます…。

必ず失敗に終わり、自らを気づかせようと返りを創り、ひどいことにもなってしまいます。

万物の構造が一体で、愛で出来ているため、それをワンネスと呼ぶことは間違いではありません…。

それも神の意志、愛の意志で出来ているその宇宙と私たちが呼ぶ、未知なる構造体に対して、自我、分離、戦いの意識で存在し続けることは難しく、それは失敗に終わることでしょう…。

そのように、真我の意識で出来ている万物自然の法則は非常に強いもので、一体ゆえに生まれる正義や愛は、その影響力の強さを物語り、このことから、宇宙の仕組みの完全さがひも解けます。 それゆえに、愛で生きないとき、一体で生きないならば、そのことへのメッセージは大変強まり、自我にとってはひどいことにもなって、その返りが来るということも、歴史が物語っています…。

MARTH